浜松広巾織物産元協同組合
これまでの歩み
いざなぎ景気と言われた高度経済成長のさ中
1969年 昭和44年9月の創立、理事長に
志田織物株式会社代表取締役 志田実氏が選任
理事15名 監事2名組合員56名でスタート。
現在の浜松市中区板屋町に組合事務所を置く
1971年10月創立当初から計画されていた
倉庫及び事務所、梱包、配送センターが竣工
現在の浜松市東区流通元町に組合事務所を
移転し、配送センター業務を開始する。
(土地6690㎡ 倉庫1879㎡ 事務所79㎡
プレハブ1棟 梱包機3基 フォークリフト等)
同年、日本繊維産元協同組合連合会を創立
浜松広巾織物産元協同組合
播州繊維産元協同組合
三河繊維産元協同組合が参加し
理事長に志田実氏が就任。その後
1978年に福井県繊維産元協同組合が
加入し4支部となる。
1973年 昭和48年 ドルの変動相場制へ
中東戦争を機に原油高、オイルショック
日本は戦後初めてのマイナス成長になり
1979年 第二次オイルショックと
世界的不況の影響もあり低成長時代に入るが
同年、静岡県織物組合展を豪州で開催し
シドニー、メルボルンへ組合員も参加
翌年にはロスアンゼルス織物展にも参加と
精力的に組合としての活動を広げていく。
1983年 遊休地に第二倉庫を建設。
レンタルのニッケンと倉庫賃貸契約をする。
1989年 18年間組合員の共同利用として
生地の保管、梱包、配送業務を行ってきた
組合配送センターを閉鎖し
浜松倉庫(株)と賃貸契約する事に決定。
1991年現在 組合員41名
(株)浜松ファッションコミュニティセンターに出資
産元業界の出資金7000万円の内
当組合が2100万円
静岡県繊維産元協同組合関係が4900万円
この頃、経済では5~6年続いたバブルが崩壊
活発な事業展開をしてきたが20年後の
2011年に(株)浜松FCCは解散する。
1994年静岡県中小企業団体中央会において
静岡県知事より優良組合として表彰される。
インドネシアに5日間の繊維事情視察
バンドンの繊維関係工場など、数社を視察
この頃から2002年まで
いわゆる失われた10年と言われる
日本経済の低迷期に入り
我々繊維業界も衰退の時期を迎える。
低コストの海外生産品にシェアを奪われ
欧米、中東への輸出も激減していく。
韓国、台湾、中国、インドネシアなどの
東南アジアに向けての海外投資が進み
近代化した生産設備による量産が増え
日本を含め大手アパレルメーカーが賃金の
安い中国、東南アジアに縫製業をシフトし
生地の現地手当も増えていきました。
生地生産の主流が東南アジアに変わり
浜松での生産量も少なくなってきましたが
技術的、品質的にもレベルが高く
多品種、小ロットの高級品の取扱いは
依然と勝るものが多く
現在も活発に生産が行われております。
POLAR
今後も永続的な発展を目指していきます。